- 観光情報2015.11.28
- 縁結び 武信稲荷神社
京宿うさぎから歩いて約10分、三条会商店街から少し南へ下がったところにひっそりと佇む神社があります。
今回はとっても素敵な、歴史ある「武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)」をご紹介致します。
武信稲荷神社は、平安時代の初期、貞観元年(859年)、右大臣左近衛大将藤原良相(ふじわらのよしすけ)公によって創設されました。
当時絶大な勢力を持つ藤原氏。良相公は長として一族や、子供の名付けをされていたことから、名付け・命名に所縁の神社として知られています。
境内の中には御神木の榎が聳え立っています。樹齢はなんと約850年!
平安時代末期かの有名な平重盛が安芸の宮島厳島神社から苗木を移したと伝えられ、まさに旧京都最大最古の霊樹!京都市天然記念物にも指定されているんです!
様々な時代を生き抜いてきたその生命力と、目には見えない神秘的なエネルギーのおかげで今でも地元の人からの根強い信仰集めていて、木を触った手で体の悪い部分を触ると次第に良くなっていくと信じられているそうです。
また榎(えのき)は、縁の木(えんのき)とも呼ばれ縁結びの神として、榎に宿るとされる弁財天を祀る末社の「宮姫社」は恋愛の神としても知られています。そんな良縁のもたらす榎、幕末の志士として活躍した 坂本龍馬とその妻 おりょうとの素敵な逸話が残されています。
江戸時代、武信稲荷神社の南には幕府直轄の「六角獄舎」という牢獄があり幕末、勤王の志士が多数収容されており、その中に坂本龍馬の恋人おりょうの父である楢崎将作が勤王家の医師であったため捕らえられていました。おりょうは父の身を案じ龍馬と共に何度か訪れますが、当時女性が牢獄へ面会できることもなく龍馬自身も狙われる身であり面会できませんでした。そのため、神社の榎の大木の上から様子を探ったと言われています。その後、おりょうは命を狙われる龍馬の行方を捜します。彼を探しながら、二人で何度も訪れた武信稲荷神社の榎をふと思い出し、訪れてみると龍馬独特の字で『龍』の字が榎に彫られていることを見つけます。「自分は今も生きている。そして京都にいるのだ。」というおりょう へのメッセージとして龍馬は榎の幹に「龍」の字を彫ったのでした。そして二人は京都の共通の友人宅で、再会を果たしたそうです。
京宿うさぎに宿泊された際には、樹齢約850年の榎の生命力を感じながら素敵な良縁を結びに是非行かれてみてください!